子どもの日

塾のこと

子どもの日
今年は10連休。
令和の時代が始まる。

毎年日本の出生率は低下の一途をたどっている。
その反面世界各国では出生率こそ増加しているが平均寿命は延びることのない貧しい国もたくさん存在している。
私はなぜだか最近TVなどでその子供達のいたいけな姿を目にすると、とても心の痛みを覚える。昔から、その痛みを持ち合わせてはいたが、だからといってその子供たちの為になにがしかの寄付をしようなどとは、思いもしなかった。それどころか、こっちが寄付してほしいくらいだと、どこか醒めていた。
けれど、今は違う。
昔よりも確実に収入は減っているのに、何かしてあげたいというう気持ちに突き動かされる。
だから、わずかではあるが、国境なき医師団とユニセフに毎月寄付をすることにした。

自分の心境の変化の一因は、今の塾生(いや、日本の大半の若者たちにも言えること)にあるような気がする。
刹那的と言おうか、他人のことには無関心すぎると言おうか、表情に乏しい子も多い。
弱いものに対する慈しみの眼差しも持っていないが、強いものへの反骨心、闘争心も、何もない気がする。
そして、そういうこととは裏腹に必死で生きようとしている子供達や、学校に行きたくても行けない子供達、食事もろくに出来ない子供たちを見ていると、いてもたってもいられなくなり、少しでも寄付をしたいという思いに至った。
なんだか罪悪感さえ覚えてしまったのだ。
電車に腰を下ろすと一斉にスマホ。
コンビニやファストフードで買った軽食をむさぼりながら目の前にお年寄りが立っていてもお構いなしに、友人たちと馬鹿笑いしながらスマホをいじり続ける。
多分、そのことの何がいけないのかもわからないだろうし、言ったところで理解もできないだろう。
だからこそ、私は、尚更身につまされる。この子たちと両極端にある子供たちを微力ながらも助けてあげなければと。

子どもの日。
世界中の子供たちに幸せになって欲しい。普通に食事して、普通に学校に行き、病に侵された時は病院に通える。そんな当たり前のことを当たり前に出来るようになってほしい。そして、この当たり前を当たり前とも思わない、今の子供達がいつかは、そのことに感謝して、そして、自分達も及ばずながら困っている人々を助けてあげたいと思うことができるような大人に成長して欲しい。
叶わぬ願いだろうか?
でもそれでは、あまりにも悲しすぎる。
みんなを信じたい。

プロゼミ 小川

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