コロナ禍で、また取沙汰される教育格差

塾のこと

収まるところを知らない、コロナの感染。福岡市内でも最近学級閉鎖が相次ぎました。
変異株は若年層に感染しやすいことをまさに物語るもので、ほんとに毎日綱渡りの状態で塾での指導をしているという感じです。
最近、東京より大阪の方が感染者が増加し、その中での中学生の動向を半年間追い続けたドキュメント番組を見ました。

休校の際のオンライン授業。ここで、まず浮き彫りになるのがデジタル格差。端末を学校が貸し出すにしてもWi-Fi環境がなく、貧しい家庭は、最小限のギガ数しか契約していないため、ずっとオンライン授業に参加できないという悩み。
母子家庭の子は、母親が飲食業のパートの道を絶たれ再就職も難しく高校進学をあきらめそうになる。これには、学校側がきちんと説明するべきであったと思いますが、今は就学支援制度が確立されているので、たとえ、私立校でもさほど毎月の費用はかかりません。
けれど、考えたら制服代とか教科書代とか最初はかなりの出費です。その辺の計算をきちんとして、ボランティアで塾を開いている代表の人が母親に説明。どうやら、なんとか、この子のケースは高校進学を制度利用で諦めなくて済むめどがついたようでした。
そして、そのあと、学力の差と親の収入の相関性がデータで示されました。確かに年収が高いほど、子供の学力は高かった。でも、あくまで、一般的なデータです。この問題になると、私はいつもイライラします。多分、何度も今までも言ってきていますが、貧乏だから、勉強できなくて、金持ちの家に生まれたから勉強できるとか、なぜ、断言できますか?
子供は親を選べません。ですから、裕福な家に生まれる子、かつかつの生活を強いられている家庭に生まれる子は、最初から生活の文化程度は違います。
ですが、教育は平等です。お金持ちの家の子に勝とうと思ったら、スポーツか勉強しかありません。そこで、奮起するかどうかだけの違いで経済的な格差は関係ないです。
だって、スポーツ推薦・学力推薦が今の世の中あるんですよ。秀でた人は無償で大学に行ける世の中です。ただ、勿論そういう人たちは選ばれしもの。普通の人は、そうはいきません。
けれど、それでも腐らずにある程度努力を重ねれば、奨学金制度などを利用して、志望校への進学は可能です。ですから、親の収入格差=子供の学力格差には、やはり異を唱えたい私です。

けれど、そのあとの人間関係の豊かさと、学力の関係については、う~んと考えさせられました。人間関係が豊かな子ほど成績がいいというのです。家庭環境・部活・クラスなどの色々な人たちと和気あいあいと、楽しく密に交わっていることにより、精神の安定が保たれ自己肯定感も生まれ勉強にいそしむことができるというような内容でした。
私は、塾で生徒たちを指導していて、全然集中力のない子や、何度も同じ間違いを繰り返す子たちに対して、咤激励より、叱咤・叱咤だけの時が多々ある気がします。いわゆる、昭和時代の根性論というやつです。
やればできる! 努力は嘘をつかない! 怠けるな! 昔の生徒は食事もせずに走って塾にきていたのよ! 熱があろうが気分が悪かろうが這うようにしてきていたのよ!と、もう、ぷん、です。

でも、考えてみたら、多くても週に3回しか顔を合わせないわけで、それ以外のみんなの様子は知らないわけです。塾で見せる顔とは、別の表情を彼らは家で、部活で、クラスで見せているわけです。
昔弟さんが交通事故にあい、手術をしていた当日も塾に来ていた子がいました。私はそれを知りませんでした。また、父親を亡くした子がお通夜やお葬式にかぶらなかったのか、普通の顔をして、塾に来ていたこともありました。どちらも、他の塾生は同じクラスとかだったので、知っていたのに私に告げなかったのです。
後で知ることになり、驚いたと同時に、もしかしたら、その子たちは塾に来ていても集中できずにいて、理由を知らない私は当時怒り狂っていたかもしれません。

難しいなとつくづく思います。成績が伸びないのは、やる気がないわけでなく、どうしてもやる気が出ない何かの原因がどこかに潜んでいるのではないか、そこに、目を向けずに頭ごなしに叱ってはいないか?
どこかの場面で人間関係がうまくいっていないのではないか?

今までは学力を伸ばすために色々手を変え品を変え生徒たちに接してきましたが、まずは、心の安定を図るすべを考えることに重きを置くことの方が大事なような気がしてきました。
30年以上塾を続けていても、なかなか正解が導き出せないでいる私であります。

プロゼミ  小川 文子

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