父の入院

介護のこと

父の入院父は穏やかな性格でしたので母のように認知症になっても、暴力的ではありませんでした。けれど、自分が年を老いていることは理解できないようで、若いころと同じことをします。いわゆる年寄りの冷や水です。

一人では、とても運びきれないベッドを2階に上げると言い張ったり高い壁を塗り替えると言って、よろよろしながら脚立に乗ったり。
どういう訳か、電車を買ってくるとか言い出してふらふらしながら自転車に乗り、あげくのはて転倒したり。

そんなこんなで、毎日が危なっかしくてみていられません。父にもリスパダールを処方してもらいました。けれど、母が入院していた病院では、老人という事もあり、とても、量を少なく回数も本当に頓服的に興奮時にと処方されていたのに、父を近くの心療内科に連れて行ったら、倍ぐらいの量を平気で出されました。怖かったけれど、そうでもしないと、何をしでかすかわからない父です。おとなしくさせたほうが得策と、飲ませ続けました。

けれど、やはり、日を追うごとに父は母よりも廃人のようになりました。
周りは扱いやすいけれども、これでは、生きるしかばね状態です。思い切ってやめました。けれど、パーキンソン病のような薬の副作用もでてきて、足元もおぼつかなくなり、母と同じように薬をやめたので元気を回復し危険行為は続くことになります。

結局母と同じ病院に入院させました。MRI検査で「こりゃあ、進んでますね。相当脳が委縮しています」と言われました。父は抵抗することなくすぐに入院しました。

けれど、実はそれまで持病の薬プレドニンを飲んでいたのですがいったん止めてみようということになって中断しました。すると、容体がおかしくなり、持病で一度入院した、総合病院に再び入院しました。私がその病院を選んだのは当時の主治医の先生がまだ、いらっしゃったらデータが残っているから容体がおかしくなったきちんとした原因解明と的確な治療ができると思ったからです。
福岡の中心地にある有名な病院です。

最初父を診察した医師は、「まず、入院した際万が一のことがあったら延命治療されますか」と質問されました。これは、どこの病院でも聞かれることです。でも、その先生の言い方にカチンと来ました。「お父さんとっくに平均寿命超えてらっしゃるから、へたに延命治療してもね」と言うのです。もう、一気に不信感です。そのあと、「主治医の方はもういらっしゃいません。色々な科の先生に聞いてみましたが、今回の原因もよくわかりませんし、病名もつけようがないです。とにかく入院してみましょう。主治医は結局僕が最初に診たから、僕になるんだろうな」と、嫌そうに言うんです。

母が人工関節の手術で入院した福岡南区の救急病院も病棟も劣悪な環境でした。
母のベッドの周りにはガーゼやら、母の片方の靴下や、タオルが散乱。そして、隣の人のコップが母のところに。バスタオルも無くなっていたり。「藤色のバスタオルがありません」というと「ありました」「それは、藤色ではない。茶色」全く色もわからないのかしら?ちなみに塾の中学生に聞いたら殆どの生徒が知っていました。で、落ちていたガーゼのことなどを指摘すると、「すみませーん。おきっぱで」と言うんです。今書いている時もなんかむずむずしてきます。
おきっぱなしのことだと、姪に聞いて初めてわかりました。職場で若者言葉使うなよって感じです。

再び、父に戻すと。父の入院した病棟も似たようなものでした。
入院の際色々なことを聞かれます。入れ歯ですか?とか、一人で食事できますか?とか。これも、どこの病院でも質問されます。嚥下が困難なので、硬い物大きいものは無理です。また、トイレも間に合わなくなり、おむつ必要ですと、一つ、一つ答えていきました。

ある日のこと、私は目を疑う光景に出くわしました。それは、ちょうど食事時、父は車いすに座っていました。見ると、下半身はおむつのみ。太ももむきだしです。たぶんパジャマのズボンを尿で濡らし着替えもなくなっていたのでしょう。でも、もし私なら病衣を貸し出します。人権も尊厳もあったものではありません。そして、食事介助もせず看護師は仁王立ち。
しかも、食事はどうみても通常食。「これって、普通食ですよね」と私がいうと看護師は食事そのものではなく、献立表を見て「真心食って書いてあります。」と澄ましていうのです。どこが?中身みたらわかるじゃないのという感じです。

で、ソーシャルワーカーに医師のこと、看護師のこと相談しました。けれど、これまたなんにもなりはしません。当人たちに言うだけなので、上には届きません。言われてやめるようなら最初からしません。もう一日も早く退院したいと思い父がある程度落ち着くのを待って退院しました。ここでも、驚いたのは、「じゃあ、小川さん、さようなら」と軽く病室前で手を振るのみ。荷物が多く父の膝の上にも大きなカバン。普通ほかの病院は看護師が無理ならほかのスタッフが車に乗るところまで持ってきてくれます。
大きな病院の医師や看護師はエリート意識が強すぎる気がしてなりません。

そのあと、父はまた肺炎をおこしたりして、また、別の病院に入院しました。
そこでも、父は迷惑がられました。夜中の徘徊です。足腰弱っているのにベッドの柵を乗り越えるので転倒骨折を病院側は嫌がるのです。
入浴のあと、私が持参したタオルではなく病院のタオルが紛れていたことがあります。よくよく見ると、足ふき用と書いてありました。認知症で何もわからない父。病院を困らせる父。つい、意識的ではないとしても父をないがしろにしていたのだと、思います。

入院も長くなると老健や施設を探さねばなりません。けれど、父の症状を聞くと、どこからも返ってくるのはNOの返事。
結局私の高校時代の友人がいる有料老人ホームに入居が決まりました。何回も何回も会議を重ねその施設のスタッフの同級生の父親という事でOKしてもらいました。

けれど、入居4日目で亡くなってしまいました。聞くところによると、その施設で血液検査をしたら、ものすごい数値の炎症反応が出ていたそうです。施設に入ってまだ2,3日でしたので多分前の病院の時からではないかという事で、近いうちにしっかり検査しなおそうと思っていた矢先だったらしいです。

死因は結局不明でした。変死扱いになるらしく刑事も来ました。刑事は病院に付き添ってくれていた、施設のスタッフの前で「不審に思うことはないですか?何か言いたいことないですか」と私に聞きました。さすがスタッフの方は感情あらわにされました。「本当はお引き受けはできないほどの方だったんですよ。でも、小川さんがお困りだったし、スタッフのご友人だから了承したのに」と唇をふるわせていらっしゃいました。私は現場にはいませんでした。食べ物を詰まらせたようだったので取り除いた、そのあと居室でおむつ交換しようと連れて行ったら様子が変なことに気付いたと言われましたからそれを信じるしかありません。苦しんではいなかったようなので、それがせめてもの救いでした。

そして、お葬式。いわゆるおくりびとというのでしょうか、最後の身支度をきれいに整えてくれる方々の配慮。「そこは、頭が当たるからもう少し上に」とか、父が生きているかのようにお世話して下さいました。
色々な病院でずっと人間らしい扱いを受けていなかった父が最後に旅立つ時一番心のこもった対応を受けました。
私は、深々と頭をさげてお礼を言いました。

今年は父の三回忌でした。母は父はまだ生きていると思っているし、まだ、バリアフリーが完備されていないお寺なので出席はしていません。私は今残された母に二度と父のような思いをさせたくない、そればかりを願い、そのためにはどんなことでもするつもりでいます。

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