様変わりした学校生活
今年は、サクラサクではなく(笑)梅が見事に咲きました。
と言うのも、私立は専願のみ。そして、公立は特色化選抜という、今までには馴染みのないシステムが数年前から実施され、今年、初めてプロゼミでそのシステムを使い桜が咲く前に早々と合格を果たしました。
ということで例年なら3月迄やきもきしていた、合格発表がもう1月で終了したわけです。
専願は随分前から取り入れられていました。私立希望高校一校のみ受験。公立併願より、必ずその高校に入学することが条件ですので、難易度も下がり3教科での受験ですので、受験者には、とてもメリットがあります。また、私立でも実質授業料無償化ということもあり、経済的にも親御さんの負担も減りますから、一石二鳥です。大学を持っている高校ならよほどのことがない限り、スムーズに大学進学できるのも魅力の一つです。設備も整っています。
公立には売店有りますよね、勿論。でも、コンビニはないでしょう、いくら何でも。
でも、私立の中には、コンパクトなコンビニがあり、その高校のオリジナルグッズも売っています。そうなると、公立は慌てますよね?! 少子高齢化も加速。優秀な生徒を私立に持っていかれてしまうぞ!
そこで、導入されたのが、この、特色化選抜。推薦と、ほぼ変わらないのですが、まず、校長推薦は要らないこと、ある程度の基準内申点をクリアしていれば、誰でも受験可能。
しかも、私立の願書締め切り一日前に合格発表があるので、私立も受験する必要がない。
私立の受験料も、ですから払わなくていいのです。
つまり、本人たちは、結果的に筆記テストを何一つ受けることなく希望高校に合格を果たすというわけです。
勿論、基準内申をとるための、日頃の学習態度や定期テストのための勉強は、真面目にやっておかねばなりません。そして、志願作文も何度も書き直さないといけないので、かなり労力を使いますから、決して、楽をして合格を勝ち取ったわけではありません。
けれど、専願しかり、特色化選抜しかり、きっと、3月の公立合格に向けて今必死で勉強している人に比べたら、合格が決まった途端に当然ですが、ほっとして、気が抜けて、そして、今まで溜めこんでいた知識も頭の中から、すっかり抜け落ちてしまう可能性大です。
そこは、気をつけて、日々の精進は忘れないようにしないといけません。
さて、様変わりの件ですが、公立特色化選抜という新しいシステム導入以外に、それぞれの、試験前の学校の対応です。コロナがずっと蔓延したままの日本。修学旅行前は、オンライン授業。一人でもコロナ感染者が出たら、中止になるからです。
これが、入試にも採用されます。 専願前1週間はオンライン授業。それ以外でも、オンライン授業がOKだそうです。名目上はコロナ感染避けるためですが、受験生にとって、正直副教科の授業受けるくらいなら、オンラインにして、自宅で受験勉した方がましというのが本音です。今クラスの半分以上の生徒がオンラインを選択しているそうです。
雨が降る日も雪が降る日も学校の先生は毎日登校します。教室の引き戸をあけて、中に入れば、そこには数名の生徒しかいない。さぞかし、お辛いことでしょう。また、信じられないのですが、オンラインなのに、オフラインにしても構わないそうです。出席確認した後は、すぐ、オフにするそうです。そして、ひたすら、受験勉強に没頭するわけです。先生方もそれはもう暗黙の了解なんでしょうし、殆どの生徒が塾に行っており、塾から出された課題をやっているのもお見通しでしょう。でも、やるせないですよね?
学校って、勉強というより、もっと、別の目的があっていくものだと私は思うんですね。
お友達との語らい、あるいは、ちょっと辛い思いもする、けれど、そんなこともひっくるめて、より、コミュニケーション能力を高めるためにも行く必要があると思うんです。
仕事もですが、リモートワークが主流になり、会社に行かず家や、あるいは旅先で、パソコンを操作する。家族とのコミュニケーションは、とれていても、他の人とのかかわりはWEB上だけなんて、昭和の私には到底理解しがたいことです。五感ってありますよね?
見る・聞く・触れる・味わう・嗅ぐ
その五つを共有してこそ人間社会ではないのでしょうか? 社会も様変わりして、今からそれが当たり前の社会になるのかしら? 個々がやりたいようにやって構わずいい意味での統制を無視してもいい世の中になるのでしょうか? 考えたらとても怖い気がします。
昔ばかりを懐かしむ私は、もう時代遅れなのでしょうか? でも、何とか、生徒には人として何が一番大切かをウザがられても、一生懸命教えていくつもりです。
プロゼミ 小川文子
母が亡くなりました。
母が亡くなりました。
このブログでは、塾のことと、介護のことも、書いてきました。
介護に関しては、私自身が色々悩んでいた時、随分と自分の介護の話をされていた方々のネットのコメントに励まされてきたので、及ばずながら私も、今悩んでいる方のお力になれたらと、綴ってきました。
ともに認知症であった両親の自宅での介護⇒入院に至る事情⇒そして、施設入所までの経緯など。
父の最後は看取ることはできませんでした。ロングのショートステイという、施設側の配慮で、本来ならば短期間のショートステイをずっと延長してくださり、それなりに順調に過ごしていたのですが、誤嚥性肺炎になり入院。足腰も弱っていたし、認知症がひどく、その頃母も自宅でみていたので、父は施設にお願いしようと、リハビリ病院を退院後高校時代の友人が勤務していた施設に入居させました。それから、わずか4日後に息を引き取りました。その時は突然で、私も塾をしていて、連絡を受け途中で生徒を帰し、大急ぎで搬送された病院に駆けつけましたが、既に亡くなっていました。
母の時は、お医者様から発熱があったので、pcr検査や肺のレントゲンを撮ったら、検査の結果陰性でコロナ感染ではなかったが、父と同じく誤嚥性肺炎との診断でした。
いわゆる、余命をお聞きしたら、今晩かもしれないし、数日かもしれないとのことでした。多分前回のブログで、そのことは書いていたと思います。
5月末のことでしたから、よく頑張りました。
私にとって、今回は介護ではなく、その後に続くもの、看取り、の、勉強(?)をしなくてはいけませんでした。誤嚥性肺炎ではありましたが、もう、老衰でもあったので、決して元気になることはない。徐々に命の炎は消えていく。それは、間違いない。けれど、それがいつなのかもわからない。
お看取りは近いかと思われますとお医者様に言われた時から、私の毎日の施設通いが始まりました。思えば、コロナが流行してから、リモートでの面会しかかなわず、本来ならもっと母とじかに接することができたのにという思いから、何とか失われた日々を取り戻したいという気持ちもありました。正直毎日の施設通いは、くたくたになりました。施設のスタッフが、私達もいますから、無理しないでくださいね、娘さんが倒れたら何にもなりませんよと、声をかけてくださいました。よほど、疲労困憊していたのでしょう。けれど、今日はきついから行くまいと思って行かなかった時に、万が一のことがあったらと思うと、一日も休むことはできませんでした。家では、トイレにもお風呂にも携帯電話を持っていきました。着信音がすると、胸がいつもドキッとしました。真夜中に電話があったらどうしよう、と、なかなか寝付けず朝を迎えることもありました。ああ、今日もまだお母さんは生きているんだなと、ほっと、胸をなでおろし、また、バタバタと支度して施設に向かいます。
目を開いているときもあれば、閉じているときもある。呼吸が乱れていない時もあれば、ハアハアとしんどそうな時もある。息苦しそうなときは、じゃあ、また、明日来るねと、ドアの近くまで行くのですが、また、枕元に戻りを数回繰り返します。そろそろではないかと言われてから、二週間ほど経っていたでしょうか?
明らかに、呼吸が乱れて酸素量も落ちていました。その晩から、酸素マスクをつけ、点滴をしようということになりました。初日酸素量は1リットル、翌日は1.5リットル、そして、次の日は突然5リットルに跳ね上がりました。もう、気が気ではありません。私は、看取り、誤嚥性肺炎、点滴、酸素マスクなどのワードを入力して、ありとあらゆるネット検索をしました。
あるお医者様は、はた目には苦しそうに見えても、実は脳内に酸素が行き届かなくなると、二酸化炭素が増えるが、結果、恍惚状態になり本人は幸福感が増してくる。だから、酸素マスクをつける必要はないと説明する。また、点滴を続ければもう血管がぼろぼろになり、尿量も少なくなれば、水分を排出できず、体中がむくみ、却って苦しい思いをさせると見解を述べるお医者様もいる。
親戚も、点滴を中止してくれと頼んだ。中止して4日目に息を引き取った。いつまでも点滴のみで意識もないまま生きながらえることが、果たして本人の望みだろうかと考えたといいます。
私も大いに悩みました。けれど、主治医が、お母さまが苦しまれず穏やかな最期を迎えられるように、酸素投入と点滴をしましょうとおっしゃったので、様々な意見があるかもしれませんが、私はそれに従うことにしました。酸素は一旦3リットルに下がり、息遣いも普通に戻り、表情も穏やかな感じでした。しかも、今まで処方されていた血圧を下げる薬や睡眠導入剤などを一切やめたことで、反対に脳がクリアな状態になったように見受けられました。
夜間スタッフが母のお世話をしていた時に「ありがとう」と声をかけてもらったと涙ぐんでおられました。点滴は殆どが水分のみでカロリーも、缶コーヒー1本分くらいなので、体重・筋肉はみるみる落ちていきました。足は、骨と皮状態。まるで骸骨のようでした。それでも、母は生きています。苦しい様子を微塵も見せず生きています。時折薄く目を開けて私を見つめることもありました。
けれど、とうとうその時がやってきました。7月3日の朝危篤の知らせを受けました。
表情は穏やかなまま。けれど、呼吸はとても浅く途中無呼吸状態にもなりました。
パジャマの一番上のボタンを私は凝視します。息をしていたら、微かにボタンが動くのです。
妹に連絡をしました。姪達も妹からの連絡を受け施設に向かいました。妹や姪達が到着したのは夕方でした。母の酸素量は健康な人と同じくらいの数値を示し、時折閉じたままでも眼球が動くのがわかりました。耳も澄ましている感じでした。
看護師さんが、すごい生命力ですね、昼まで持たないと思っていましたと、仰いました。
そして、長丁場になるかもしれないので、途中で休めるようにと、ソファーを部屋に入れてくださいました。姪の一人は看護師なので、脈をとったりして、あと、2・3日は持つかもしれないねと、言って、妹家族は帰っていきました。
ベッドわきでスタッフさんとほんと頑張りますよねと、話していた時、母が最近発していた、あ~とか、べ~とか言う声が聞こえました。また、あっかんべ~って言ってると笑いながら、ふと、ボタンを見ると、動いていません! 妹たちが帰ってから数分後の出来事です。
施設の看護師さんが胸に聴診器を当てて静かにおっしゃいました。
「動いていませんね。止まっています。」と。
なんとも、あっけない、そして穏やかな最期でした。
「皆さんを待っていらっしゃったんですね。」とスタッフの方が言われました。ほんとにそう思わざるを得ませんでした。
92歳になっていました。6年間お世話になった施設。たくさんの写真を残して下さっていました。小川さんは、とても感情豊かでよく笑うし、感激したら号泣していました、スタッフが困っていると、大丈夫よといつも声をかけてくれていたと言ってくださいました。
また、福島の復興応援ソングの「花は咲く」をBGM代わりに施設で流していたところ、すっかり母が歌詞を覚えてしまったとも聞きました。
要介護5という最高レベルの認知症の母がですよ!
施設に預けることを未だに介護放棄だとか姥捨て山だとかいう人もいます。けれど、この少子高齢化、徐々に考え方もかわりつつあります。CMでもそういう類のものが多くなってきています。賛否両論あるかもしれませんが、私は母の施設での6年間はとても幸せなものであったろうと思います。
毎年誕生日会も開いてくれて、写真付きの色紙を作ってくれます。母は施設長が大好きで、彼と一緒に写っている写真は、まるで乙女のようです((笑)
今でも、無意識に、アッ、携帯!とトイレにまで持っていきそうになります。そうだった、もう、電話はかかってこないんだと、なんだか少し寂しい気持ちにもなります。
でも、なるべくあまり考え込まずに、これからは、夏休み、ビシバシ、受験生を鍛えていくべきエネルギーをチャージしていくことに重きを置こうと思います。
今年の受験生はまるまる3年間コロナ禍で過ごしてきたので、通常とは違う相当の覚悟がお互い必要になるだろうから・・・
プロゼミ 小川
心の教育
三年前からの、コロナ流行がなかなか終息の兆しを見せないところに、ロシアのウクライナへの侵攻。そして、新たにサル痘の流行も取り沙汰されています。
世の中が知らず知らずのうちにすさんでいっていることも、一つの原因かもしれませんが、最近の子供たちは、「心」がないように思います。
自分本位ではなく、人への思いやり、人の痛みを我がことのように感じて、何か手助けをしてあげたい、そういう思いがとても希薄になったように、思います。
また、いわゆる性善説、人間の本性は善である。この考えが日本では一般的です。一人一人性格や学力に違いはあるものの、一般常識における善悪の区別はみんながついていると私は思っていました。
けれど、どうもそうではなかったことに、世間のみんなが衝撃を覚えた誤送金問題。
色々と悪い状況が重なって、ある男性の口座に4630万円という大金が振り込まれてしまいました。振込先は手違いを詫び、返金をお願いしました。田舎の町です。多分、泥棒や殺人などの事件など皆無であったであろう田舎町です。ですから、当然と言えば当然、性善説の元、素直に返金に応じてくれると思っていたのに、そうではなかった。
このことについて、生徒達に問うてみました。
すると「返さない。向こうが、ミスして振り込んだのだから、向こうが悪い。当然、もう、自分の通帳に入金されたのだから、自分のもの。自分のものを返せとは、そんな理不尽なことはできない」とある生徒が言いました。愕然としました。それは、そもそもはあなたのおうちの人やみんなが汗水たらして働いたお金なんよ、税金だから。いずれにしろ、人のお金なんだから、間違って入っていますよと言わなくてはと言っても頑として自分の意見を曲げませんでした。また、国語の文章の中で、「さすがに、それは、はばかられた」というのがあり、憚る、の意味を説明するために、ある例を出した時のことです。
友達の家に招かれて、たくさんお料理が出されて、そこのお母さんが好きなだけ召し上がれと言ったとする。友達は全員で10人。色々なお料理がある中で、ステーキは10枚だった。
あなたは、何枚食べるか?と聞いてみました。当然私は、いくら好きなだけ食べていいと言われていても、ステーキの枚数は人数分だから1枚と答えると思いました。ステーキが大好きで何枚も食べられるが、やっぱり人数分しかないから遠慮するよね?そういうのを、はばかる、っていうのよと、教えるつもりでした。
でも、返ってきた答えは「何枚でも食べるよ。早いもん勝ちやろ?だって、好きなだけ食べていいって言われたんだから」でした。全員の生徒ではありません。それは、人数分しかないから、平等にという答えが大半でしたが、一人でもそういう気持ちを持っている人がいたのは、悲しいことでした。
そして、極めつけは、今のウクライナとロシアのこともあるし、では、人を殺してはなぜいけないのかを、聞いてみました。
これは、以前、筑紫哲也さんがやっていたニュース番組で若者との討論会の時、一人の青年が作家の柳美里さんに投げかけた質問です。一瞬スタジオが凍り付き柳美里さんが返答に困ったシーンが今でも焼き付いています。その頃か、それより前か、今では、当たり前のようになってしまった、人を殺すこと自体が目的の殺人が初めて起きた時だったように記憶しています。若者が、赤の他人の老女を殺しました。理由は人を殺してみたかったでした。センセーショナルな事件でした。それから、今度は中学生が小学生をビルの屋上から突き落としたり、小学生が同級生を学校内で殺したり、兄が妹を殺したり、親が子を子が親や祖父母を殺したりと、とにかく今までとは想像を絶するような殺人が次から次へとおこり、今でもそれは、続いています。その、質問に殆どの生徒が「う~ん」と考え込んだのにまず驚きました。もしかしたら、数学のようにきちんとした正解があるのだと思ったのかもしれません。間違えたくないと思ったのかもしれません。でも、ある子は「えっ? 殺したらだめなの?」と言いました。また、「う~ん」と言った子も動物は殺しあうのになぜ人間だけダメなんだろうとは思うといいました。
柳美里さんは、あの時どうして返事に窮したのかと私は、思います。
人の人生は一度だけ。大切な命を何人たりとも殺めてはいけないし、被害者家族も加害者家族もつらい思いを抱き続けることになる。以前カラスが死んでいるのを見た生徒が、カラスとか生きてる意味ある? と聞いたことがあります。確かに生ごみはあさるし、嫌われ者のカラスです。でも、なぜか悲しかった。また、TVのCMで最近目立つのが優秀な人材を得るためのツールを紹介している会社の広告です。確かに高校の先生方もぜひ、優秀な生徒さんを我が校へと仰います。でも、よくよく考えていくと、では、優秀でなければ、生きる価値はないのか?上記したように、赤の他人の老女を殺した青年は、若い人は前途があるから、老い先短い老人なら誰も困らないだろうと思い年寄りを選んだと供述しています。
今、私の母は91歳。食事も摂れないようになり、体重も減少、そろそろ40キロ切るのではないかと思われます。点滴で栄養補給していますがかかりつけ医から、そろそろ御看取りも近いと思われますと言われました。コロナ禍でずっとリモートの面会でしたが、施設の方のご厚意で直接面会できるようになりました。認知症ですから私のことは勿論わかりません。入所当初はLサイズのパジャマもぶかぶかで、足を触れば骨そのものです。無理な延命治療は望みはしませんが、それでも一日でも長く生きていて欲しいと思います。サイズを落とした介護もしやすいパジャマを注文したのが、今日。届くのは3日後。何とか、そのパジャマに袖を通してほしいと願うばかりです。
今回は、ちょっと、話があちこちとんで、長くもありますが、読んで下さいませね。
小学校や中学校では、道徳の時間があります。でも、みんなどう答えればいいかは知っています。中学生ともなると、内申書のこともあるし、心の中では👅を出しているかもしれませんが、優等生の答えを用意します。そして、実は私も悲しいかな、そう指導します。
先生が喜ぶ答えを出さないと合否に関わる可能性も出てくるからです。
ですから、私もいけないのでしょうが、家庭でも、たぶん、「心」人としての有り様についての話などはしていないと思います。殆どの家庭が共働き、子供たちは塾も含めたくさんの習い事に部活。一緒に食卓を囲むことも少ないでしょう。学校でも、道徳は教科として教えるだけ。いちいち、一人一人に目を向ける暇もないだろうし、子供達も本心は隠している。
そこで、私、考えました。塾は勉強をしにくるところ、そして、成績を上げるところ。だけど、それだけではダメなんだと。予想だしなかった私の質問に対しての生徒たちの返答に私は驚愕しました。
そして、よし!! 家や学校で学べないなら、塾で「心」の教育をやろうと!!
そもそも、「心」なんて教育するものではないですよね?
例えば、親御さんが電車の中で席を譲るのを見たり、あるいは、むごたらしい戦争の映像などを見て涙する親御さんのそばで、自然に育っていくものだろうと思います、本来は。
でも、今は、それが難しい。日々の生活に追われ家庭の団欒をとることも少なくなってきていると思うのです。「宿題はした?」「明日も朝練あるんでしょう? はやく寝なさい」くらいの会話で精いっぱいではないでしょうか? ゆっくり膝を突き合わせて「いいか、人というものは・・」なんていう時間はないでしょう。同じ膝を突き合わせて話すとしたならば、「いいか、このままでは行きたい高校には行けんぞ」くらいが関の山でしょうし、それを責められやしません。私もテスト前はとにかく「いい、絶対ここは100%出るからね!覚えてよ!」と、声を枯らしながら必死で指導します。塾ですから。
核家族になり、地域のコミュニティも今はほぼないのも「心」が育たない一因だと思います。おじいちゃんおばあちゃんがいて、お節介な近所のおばちゃんやおじちゃんがいて、みんなで子供を育てていた頃とは違いすぎます。今は、「心」すら、教育する外はないのです。
それを私は怠ってきたという自責の念があります。どうしても塾の役目は学力をUPさせることですから、一番大切な人の心を教えることはしてこなかったという反省があります。偏差値の高い高校に合格した子が果たして、とてもいい子かどうかなんてとこまで考える必要は本来はないのかもしれない。でも、それではダメなんだと今私は痛切に感じています。ステーキを何枚も食べると言った子に「10人お友達がいるでしょう? ほかの食べ物はたくさんあってもステーキは人数分しかないのよ。だから、自分が多く食べたら食べられない人が出てくるやろ?平等にお友達とわけないとね」と言ったら、初めて合点がいったように「ああ・・」と頷きました。
今回、普段は案外自分勝手な感じの子が「1枚しか、食べんよ。だって、人数分しかないんやけん」と言った時はちょっと感激しました。そういえば、この子は、とてもたくさんの友達がいますし、笑顔が絶えない子です。まあ、「いや、それに、何枚も食べられんし。おなか一杯になるもん」の落ちはありましたが、ある意味思いがけないいい答えだったので救われた私でありました。
プロゼミ 小川
今年の受験生もコロナとの戦いでした。
世界中にコロナが蔓延して、とうとう3年目に突入しました。
受験生達も、本人の感染は免れましたが、家族内に感染者が出たり、学級閉鎖が二度、三度と続きなかなか勉強が出来ませんでした。
しかも、今年から指導要領が変わったり、今まで福岡市が採択していた教科書メーカの変更により、中2までに既習済みとみなされていても、未習のまま、新指導要領のもと3年の勉強をスタートすることになりました。
指導する先生方でさえ、習ったことのないものを生徒に教えるわけですから、先生方もご苦労されたことでしょう。
でも、思えば、明治維新! 江戸時代とまるで違う文化がやってきました。
そして、第二次世界大戦! 今までとすべての概念がひっくり返りました。
教科書も黒塗りだらけになりました。子供たちに自分は今まで嘘を教えてきたと罪の意識にさいなまれ辞職した人や自殺した人が多数いたということでした。
両親たちは、量の単位を知りませんでした。今までは、匁とか、尺だったのに、突然1キログラムなどと言われてもわかるはずもありません。また、敵国語の英語を口にするだけでも憲兵に引っ張られるわけですから、英語の知識も全くありませんでした。
そういうことを考えると、これしき、がたがた言っていてはみっともない気もします。
そもそも、全員同じなわけですから。過去に生きてきた大人には比べるものがあるから、驚きますが、本人たちは、毎回初耳ですよね?
小学校1年の時から。もちろん今はほとんどの子供が塾などで先取り学習はしているでしょうが、基本は、ひらがなに触れるのも小1が初めてなわけです。
ですから、指導要領が変わろうが変わるまいが、習うことに関してはみんな平等なわけです。
ただ、ここ数年は、コロナという異常事態も相まって、全体的に学力が落ちてしまったことも否めません。
けれど、それでも入試はやってくる!
そして、そんな中でも今年もプロゼミの生徒は、桜を咲かせてくれました!!
高校の入学式がオンラインではなく対面であることを祈ります!!
合格おめでとう!
東福岡高校 進学コース
福岡中央高校
猫にも認知症?
ようやく緊急事態宣言も解除されました。しかしながら、母の施設は相変わらずオンラインのみでの面会がかれこれ二年間続いています。
最初、母を施設に入れたころは週に2回面会に行っていました。友人からは多くない?
月1でもいいくらいよと言われていましたが、行かないと安心しませんでした。けれど、3年ほど前に私自身が大病を患ってしまってからは、入院の時は勿論行けずじまいで、そのあとからは週1に変更しました。
理由の一つは、私の入院中は全面的に施設にお任せしていたのですが、これといったトラブルもなく、週に2度3度行かずともお任せで大丈夫だと思ったこと。
それと、もう一つは、母の認知症がかなり進み、もう、私が誰だかわからなくなっていることです。結果私と頻繁に会えなくても淋しがらなくなりました。
オンラインの面会でも、目も合わないし、そこには能面のように無表情な母の姿があるだけです。けれど、血色もよく体調面はすこぶる良好だということはわかりますので、安心です。
今気がかかりなのは、我が家の猫のドナちゃんです。入院の際、母は施設にいたのでよかったのですが、一人暮らしの私でしたので、入院するとなると、ドナちゃんの生活に支障をきたします。そこで、姪や妹に頼んで、毎日でなくてもよいのを条件にお世話を頼みました。
食事や排泄の始末にはそういうわけで、困らなかったのですが、世話が終われば姪達は帰ります。だから、ドナちゃんは二週間以上淋しい夜を過ごさねばなりませんでした。それが、たぶんきっかけでしょう。ドナちゃんは、分離不安症のような状態になりました。ペットに特有の病気で、飼い主と離れられなくなる。いつもついて回る。少しでも姿が見えなくなると鳴き続ける。その状態が結構続きました。しばらくして、少し収まったのですが、今ドナちゃんは15歳くらいで結構なおばあちゃんになりました。時折ぼ~っとしているかと思えば、今度は、狂ったように鳴きじゃくります。そして、最近慢性腎不全に加え、膀胱炎の症状も出始めました。人間にも膀胱炎はありますが、猫ちゃんは精神的な不安からも起こるそうです。また認知機能の衰えからも起こりやすいとか。
抗生物質などを投与して、今は療法食に切り替えて毎日を過ごしていますが、認知症らしき症状は進んでいます。
鳴いて何事かを訴える。だいたい、私の言葉は理解しているし、私もドナちゃんの返事やしぐさで何を欲しているのかわかります。けれど、最近は、たぶん、ドナちゃん自身もわからないようなのです。鳴くには鳴く。けれど、私に何を訴えているのか、何をどうして欲しいのかわからないようなのです。その場にじっと、座り込んで、次のアクションを起こさず、ただキョロキョロするだけです。
そこで、とりあえず抱っこします。すると、ちょっと安心したような表情を浮かべ、しばらくすると、水を飲みに行ったり、トイレに行きます。
鳴く⇒抱っこする⇒ドナちゃんが別のことを始めるので私も家事などをし始める⇒また、鳴く⇒どうも二階に行きたいようだ。階段を下りるのは何とかできるが上るのが一苦労みたい⇒抱っこして二階に行く。⇒また、鳴く⇒今度は下に降りたいのだけれど、もう疲れてしまったの合図の鳴き声みたい。
この、ルーティンの日々が少しずつ増えていきます。一たび寝たらかなり長時間寝るので、その間にチャチャっと用事を済ましています。
これからは受験真っただ中に突入するので、指導にも準備にも時間を割かねばなりません。
両親が家にいた頃は、授業中にも怒鳴り声を出しながらやってきていたので、それを考えれば人間の認知症よりは生徒への危害はないので助かりますが、一人にさせている時間は長いので、これまた、どうしているかと心配になります。
なんだか、人生って次から次へ色々な困難が待ち構えていて、心底楽しめる時期って短い気がします。最近は20代くらいのことが思い出されてならない私です。
後悔先に立たずとは、よく言ったもので、後から気づくからあとで悔やむわけであり、その時々では、いくら、将来後悔するよと、親や周りの大人に言われても若者は突っ走る。
中3になったら困るからと言っても耳を貸そうとせずに結果今慌てふためいている受験生。
だから、言ったでしょうと言っても、もう過去に戻って勉強をやり直すことはできない。
これから先、勉強以外でも苦しみ・辛さ・後悔を味わう日々の連続だということも、タイムトラベルで、将来を垣間見られる人しかわからないし、当然それは、不可能です。
ああ、あの時は失敗もしたけど、楽しかったな、でも、今の方がもっと楽しいやと思える人生を生徒達には送ってほしいものであります。
プロゼミ 小川 文子
コロナ禍で、また取沙汰される教育格差
収まるところを知らない、コロナの感染。福岡市内でも最近学級閉鎖が相次ぎました。
変異株は若年層に感染しやすいことをまさに物語るもので、ほんとに毎日綱渡りの状態で塾での指導をしているという感じです。
最近、東京より大阪の方が感染者が増加し、その中での中学生の動向を半年間追い続けたドキュメント番組を見ました。
休校の際のオンライン授業。ここで、まず浮き彫りになるのがデジタル格差。端末を学校が貸し出すにしてもWi-Fi環境がなく、貧しい家庭は、最小限のギガ数しか契約していないため、ずっとオンライン授業に参加できないという悩み。
母子家庭の子は、母親が飲食業のパートの道を絶たれ再就職も難しく高校進学をあきらめそうになる。これには、学校側がきちんと説明するべきであったと思いますが、今は就学支援制度が確立されているので、たとえ、私立校でもさほど毎月の費用はかかりません。
けれど、考えたら制服代とか教科書代とか最初はかなりの出費です。その辺の計算をきちんとして、ボランティアで塾を開いている代表の人が母親に説明。どうやら、なんとか、この子のケースは高校進学を制度利用で諦めなくて済むめどがついたようでした。
そして、そのあと、学力の差と親の収入の相関性がデータで示されました。確かに年収が高いほど、子供の学力は高かった。でも、あくまで、一般的なデータです。この問題になると、私はいつもイライラします。多分、何度も今までも言ってきていますが、貧乏だから、勉強できなくて、金持ちの家に生まれたから勉強できるとか、なぜ、断言できますか?
子供は親を選べません。ですから、裕福な家に生まれる子、かつかつの生活を強いられている家庭に生まれる子は、最初から生活の文化程度は違います。
ですが、教育は平等です。お金持ちの家の子に勝とうと思ったら、スポーツか勉強しかありません。そこで、奮起するかどうかだけの違いで経済的な格差は関係ないです。
だって、スポーツ推薦・学力推薦が今の世の中あるんですよ。秀でた人は無償で大学に行ける世の中です。ただ、勿論そういう人たちは選ばれしもの。普通の人は、そうはいきません。
けれど、それでも腐らずにある程度努力を重ねれば、奨学金制度などを利用して、志望校への進学は可能です。ですから、親の収入格差=子供の学力格差には、やはり異を唱えたい私です。
けれど、そのあとの人間関係の豊かさと、学力の関係については、う~んと考えさせられました。人間関係が豊かな子ほど成績がいいというのです。家庭環境・部活・クラスなどの色々な人たちと和気あいあいと、楽しく密に交わっていることにより、精神の安定が保たれ自己肯定感も生まれ勉強にいそしむことができるというような内容でした。
私は、塾で生徒たちを指導していて、全然集中力のない子や、何度も同じ間違いを繰り返す子たちに対して、咤激励より、叱咤・叱咤だけの時が多々ある気がします。いわゆる、昭和時代の根性論というやつです。
やればできる! 努力は嘘をつかない! 怠けるな! 昔の生徒は食事もせずに走って塾にきていたのよ! 熱があろうが気分が悪かろうが這うようにしてきていたのよ!と、もう、ぷん、です。
でも、考えてみたら、多くても週に3回しか顔を合わせないわけで、それ以外のみんなの様子は知らないわけです。塾で見せる顔とは、別の表情を彼らは家で、部活で、クラスで見せているわけです。
昔弟さんが交通事故にあい、手術をしていた当日も塾に来ていた子がいました。私はそれを知りませんでした。また、父親を亡くした子がお通夜やお葬式にかぶらなかったのか、普通の顔をして、塾に来ていたこともありました。どちらも、他の塾生は同じクラスとかだったので、知っていたのに私に告げなかったのです。
後で知ることになり、驚いたと同時に、もしかしたら、その子たちは塾に来ていても集中できずにいて、理由を知らない私は当時怒り狂っていたかもしれません。
難しいなとつくづく思います。成績が伸びないのは、やる気がないわけでなく、どうしてもやる気が出ない何かの原因がどこかに潜んでいるのではないか、そこに、目を向けずに頭ごなしに叱ってはいないか?
どこかの場面で人間関係がうまくいっていないのではないか?
今までは学力を伸ばすために色々手を変え品を変え生徒たちに接してきましたが、まずは、心の安定を図るすべを考えることに重きを置くことの方が大事なような気がしてきました。
30年以上塾を続けていても、なかなか正解が導き出せないでいる私であります。
プロゼミ 小川 文子
コロナが続く中しっかりと今年も桜が咲きました。
一向にトンネルの出口が見えない中でも、生徒達はいつものように学校に行き、そして、受験を迎えました。
昨年は、受験者が400人を超える高校のみであったWEB上での公立の合格発表は、全公立となりました。そして、なかなかスムーズに移行できなかった教育委員会のホームページも随分と改善され、わかりやすくお目当ての高校を選択することができるようになっていました。
あらゆる面でのデジタルの推進化に結果的にコロナが一役買った形になってしまい、ほんとに皮肉なものですね。
中学校でも土曜日などにオンライン授業が設けられ、登校してもいいし、自宅から授業に参加してもよいということで、塾の生徒達も各々どちらかを選択し授業に臨みました。
「どんな感じだった?」と、聞くと、即、フリーズしたそうです。教育委員会が決めたカリキュラムに従わねばならないというのが正直なところでしょうが、そりゃあ、曜日、時間をずらさなければ動きは悪くなるでしょう。回復した後もたびたび遮断されたりもして、ただ、疲れただけ、何も頭に入らなかったそうです。
実は、私も昨年、ある私立高校の先生に誘われてSkypeによるオンライン授業を参観したことがありました。まず、Skypeのアプリのダウンロードで四苦八苦。ようやく授業に参加できましたが、やはりなかなかスムーズには進めませんでした。
考えてみれば、今こうやってワードに入力していますが、私が幼稚園教諭の時代は、ガリ版刷りで園便りを作成していました。FAXもようやく出始めた頃で、送信するときもおっかなびっくり。ポケベルさえもありゃしない。ほんとにアナログが全盛の時代に生きた私は今の世の中のスピードについていけません。
テレワークが主流になり、いわゆる「おうちごはん」も多種多様となりました。主婦も若者も何のためらいもなくごく自然にレトルトや、冷凍食品や、カップ麺などを購入します。
勿論、かく言う私もですが、私が若いころは、そういった類の食品はまだあまり開発されていませんでした。
私が高3の頃『ヤング・oh・oh!』というテレビ番組がありました。若かりし頃の明石家さんまさんや、島田紳助さんらが出演していて、大阪での公開録画でした。会場のお客さんと一体になったゲームみたいなものもあり、お客さんが勝利すると、プレゼントとして「カップヌードル」がもらえました。
??? 何? カ、カ、カップヌードルって?と私はず~っと思っていました。
食文化というものも地方にやってくるまでには時間がかかる時代。カップヌードルの正体がわかるのは、それから、随分たってからのことでした。今では忙しい時にはすっかり重宝していますが(笑)
でも、私、思いました。
明治維新の時代に、もし生まれていたらと。ある日を境に江戸から明治へ。ちょんまげから、散切り頭へ!!
今より、もっともっと国民は大変だったろうなと。
そして、太平洋戦争の前後も!!
例えば、量のはかり方。今までは。匁だったのがgですよ?! 長さも一尺とか言っていたのに㎝です。私の両親世代も、それはそれは、面食らったことでしょう。今のアナログがデジタルに変わっていったことよりも衝撃だったと思います。だって、移行期間はないんですもの。有無を言わせないんですもの。あれよあれよという間に世の中は変わっていった。
戦前に信じていたすべてのものが、敗戦となったその瞬間から否定されたのですから。
教科書も黒塗りです。教師も完全に指導内容を変えねばなりません。天皇は神ではない。象徴となり、国民に主権はあるのだと。
今年から高校数学が中学に下りてきます。理科なども変わります。高校時代、物理で0点をとったことがある私。数学なんて何を習ったかも覚えちゃいません(;^ω^)
でも、弱音は吐けませんね。ガリ版刷りの頃が懐かしくはありますが、やはり、先人たちもそうしたように今を生きる人間は目を背けずに新しい時流に乗るべく日夜努力しなければならないのでしょう。幸い今はコロナ禍であっても戦時中ではないのだから。平和なのだから。先人たち(つまり今のお年寄りたち)が青春を犠牲にして守ってくれた日本の今を生る私たちの義務なのかもしれないのだから。
合格おめでとう。
東福岡 特進英数コース
中村女子 スーパー特進(全額特待)
公立
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日本大学・九州産業大学 等々
新年あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
昨年は、コロナウイルスの影響で、世界中が混乱しました。今年こそは、よい年にと願いたいけれども、今までにも増して感染者数が世界中で増えており沈静化には、程遠いようです。
日本には、外国のようにロックダウンができないので、結果的にお願いベースでしかないと、行政は言います。けれど、残念ながら、いくらお願いしますと訴えたところで、自分には関係ないやと思っている人が多いのも事実です。
今日のことですが、電車に乗る前にICカードにチャージしようと、「チャージお願いします」と係の人に千円札とカードを渡し、チャージ後は「ありがとうございます」と言ってカードを受け取りました。次に、また別の女性がチャージするために窓口に向かって行っていたので、何の気なしに見ていると、係の人に無言でお札とカードを渡し、チャージ後も無言のまま受け取っていました。また、食料品売り場で列に並んでいた時、前の人がいつまでも何やらレジの人と話していました。今は、必ず清算前にレジ袋の有無を問われます。その人のかごの中には2点くらいしか入っていなかったので、レジ袋のことをずっと話す必要あるのかな?と思っていると、その人はレジの人と話していたのではなく、携帯相手に向かって話を続けていたのです。今の若者はBluetoothイヤホンで話すため、携帯自体を耳元に置いていないので、まるでレジの人と話しているかのように、見えたのです。これまた、黙ってお札を渡し、いや、携帯相手と話し続けながら、渡して、黙ってお釣りを受け取りレジの人に会釈もすることなく去っていきました。完全に自分たちが優位に立っていて、相手を見下している態度です。確かにお客様は神様ですという言葉も以前流行したように、そこに上下関係は成り立って仕方がないのかもしれません。以前、似たような光景をコンビニでも見たことがあります。その人は、コンビニの近所の保育園の先生でした。お昼休みに昼食を買いに来たのでしょう。私は、その時、この人に指導される園児はかわいそうだと思いました。
今の人たちは、本当に人に対する思いやりや敬意が希薄です。たとえ、こちらが客の立場であっても、やはり人としての接し方は最低限のマナーとして持っておくべきだと私は思います。コロナのことにしても街角インタビューなど聞いていても、「いや、大丈夫でしょ。周りにもコロナの人いないし。緊急事態宣言?別に関係ないです」とあっけらかんとしています。
自分が感染しても勿論困りますが、自分たちの軽はずみな行動がほかの人たちにも感染を広げることになるという自覚などをなぜ持ち合わせることができないのでしょうか?
そして、申し訳ないですが、その人たちって、いったい親御さんからどんな教育を受けてきたのかしらと思ってしまいます。教育とは、学問の知識だけを教え込むのではないはずです。
人として、何が一番大切かを、親御さんは、まず教え込まねばなりません。塾をやっている身としておかしいかもしれませんが、私は、やはりそこが教育の第一歩だと思っています。
相手の立場になって物事を考えるということが、なかなか実行できない人たちの集まりでは、コロナ感染に歯止めはかからないかもしれませんね。 私は、時折、うっかりマスクを忘れてしまい「大丈夫、ならんけん」と言う生徒たちに、冗談めかして「いやいや、あなたたちはならなくても、私に移ったらいかんやろ? 私は高齢者なんだから、重症化する恐れがあるんだから」と言って、塾に常備しているマスクをつけさせます。
みんながみんなを思いやる。ただ、このことだけを実践したら、春ごろには一旦であっても収まるかもしれませんね。
昨年は卒業式も入学式もなし。小6から中1への移行がままならなかった為、基礎学力がついていないままの生徒がとても多いです。学校の5教科の平均点の殆どが50点前後です。中1の一学期の簡単な英語ですら、その有様です。いつも、お年寄りや子供のように、弱者が犠牲になります。辛いですね。 けれど、長い歴史の中で戦争や大災害などありとあらゆる災難を我々日本人は乗り越えてきたのだという、人間の偉大さ、強さも、また、改めて感じることができるいい機会にもなった気がします。
今年こそは、本当に心もぽかぽかになる春が訪れることを願ってやみません。
プロゼミ 小川 文子
もうすぐ母の誕生日
もうすぐ母の誕生日
今回は久しぶりに介護について書いてみたいと思います。
父の七回忌を昨年済ませ、今年は、このコロナ禍の中、叔母が亡くなりました。91歳でした。母も、18日に、その歳になります。母は、施設にいますが、コロナの影響で面会は禁止。ただ、ラインでのビデオ通話ができましたので、日頃の母の様子は、わかります。でも、認知症も随分進み、ライン電話で「お母さん」と呼び掛けても何の反応も示しません。昨年くらいから、既に私が娘だということは認識していませんでしたが、笑顔はこぼれていました。でも、今はもう、能面のようです。
ただ、ある意味、そっちの方がいいかなというか、よく、ここまでたどり着いたという思いも正直あります。
両親ともに認知症で一人で自宅で介護をしていた時のことを考えると夢のようです。
最近NHKのTV番組で、「デイアペイシェント~絆のカルテ~」というドラマが放映されていました。親愛なる患者様なのでしょうが、実態はモンスターペイシェントに振り回される医師と、その患者たちの物語で、その中に認知症や、介護問題が絡んできます。
その、ドラマを観て、ほんとに、身につまされると言おうか、涙があふれて仕方のない場面がたくさんありました。
ある男性の患者は自分も糖尿病などの持病を抱えている中、介護離職。経済的に困窮する中、一人で、認知症の母親の介護をしています。母親は、ベッドに寝たきり。言葉もろくに発することができないので、息子を呼ぶときは、ベッドの鉄の柵を棒で、ガンガンたたきます。息子が返事するまで、いつまでも、ガンガンとたたき続けます。息子は、いらいらしながらも、母のもとに行き、下の世話もします。
ここで、既に私は、滂沱の涙。普通の人なら、「えっ、ここ、泣くとこ?」と、思うでしょうね。 私、今、この文書いているときにも、涙が出てしまいます。
この、「ガンガン」の音、私にもこびりついています。それは、私が塾で生徒たちを指導しているとき、いつまでも自宅に戻ってこないので、母が自宅のスチール製のドアを棒でたたいているときの音とそっくりでした。
建物の構造を説明しますと、2階が塾で、3階が自宅です。そこで、3階の扉を開き、ガンガン鳴らすのです。当然、生徒はおびえます。へたしたら、塾に乗り込んでくるからです。
出て行けとカバンを投げ捨てられるからです。「おばちゃんが怖い」と、泣いた子もいます。「殺される~!」と叫んで、逃げ帰った子もいました。「やめて頂戴」と言ってもわかるはずはありません。手を変え品を変えながら、おだてたりもして、興奮が収まるのを待つしかありません。私自身ならどんな目にあってもいいのですが、大切なお子様をお預かりしているわけだから、そのお子様を危険な目にあわせてはいけないと、それはそれは必死でした。
また、私が、がんがん鳴らしたことも何度もあります。塾を終え、自宅のドアを開けようとしても、開きません。鍵を閉めているのです。鍵だけなら勿論いいのですが、チェーンをかけているので、入ることができないのです。インターホンを鳴らしても気づきません。高齢者になると、聴力が衰え、高い音は聞きづらくなります。ですから、あの、「ピンポ~ン」は、何度鳴らしても寝ていたら尚更聞こえません。だから、ドアをたたくしかありません。何度も何度も、がんがんと。毎回、両親のどちらかが気づいて、開けるまで1,2時間かかる時もありますし、そもそも、認知症なので、チェーンをかけたのは、自分たちのくせに、外し方がわからないのです。そこで、また、必死で開け方を説明せねばなりません。
そのころの記憶が蘇ってきて、ほんと、泣けて泣けてしょうがありませんでした。
最終回では、いつも、その患者にいちゃもんをつけられる医者が、その患者の家を訪ねます。
劣悪な環境でした。たまたま患者は留守。母親の息子を呼ぶ言葉ではない、喚き声と例のガンガンが響き渡ります。そこへ、息子である患者が戻ってきて、「何しに来た!貧乏人を馬鹿にしにきたのか!」と叫びます。そう言いながら、息子はいつまでも喚き続ける母親のもとに行きます。「わかったから!わかったから!」と、怒鳴りながら。
でも、その手はしっかりと、母親の手を握りしめています。もう、ここで、また涙。
親子って、本当に切っても切れない絆があるんですよね。色々大変な目にあわされても、決して捨てることなんてできないんです。でも、もう、自分自身の生活がいっぱいいっぱいで精神的に耐えられなくなったら、その時は施設を頼っても致し方ないと思うんです。
よく、何も自分たち自身に介護の経験もなく、机上の空論よろしく、施設に親を預ける人たちを鬼畜呼ばわりしますが、決してそんなことは、ありません。姥捨て山だという人もいます。でも、劣悪な環境に一日24時間ベッドの上に寝かされたままの方が、どれだけ人間の尊厳が失われていると思いますか?
実は、この医師も母親が認知症になり、自分は仕事で上京しており、実家の父親と妹に介護を頼むしかなく、罪悪感を感じています。けれど、だからと言って、たくさんの患者を抱えている自分が離職することはできない。結果、その医師の母親も施設に入ります。父親も医師で妹は医療事務などを手伝っており、そこに認知症の母親がいたら、とても仕事にならないからです。
私も、生徒を指導しつつ、常に耳を澄ませていました。父が徘徊するからです。ドアが開き出ていく気配を感じたら、生徒を待たせて、父の徘徊を阻止せねばなりません。また、母親の乱入を防ぐために睡眠薬を飲ませにも行かねばなりませんでした。あとは、母が激高して、「今から火をつけて家じゅうを燃やしてやる!!」とか、言い出すようになってからは、とても一緒には、暮らせないと思いました。もし、本当にそうなれば、人様にも迷惑をかけてしまいます。密集地ですから、瞬く間に一帯は火の海と化します。
また、仕事の間は、両親の面倒が見られませんから、その間、母が下の始末ができずに足に汚物をつけたまま、歩き回っていても気づきません。父がトイレではない場所で用を足しているのもわかりません。塾での指導を終え、ドアを開けたときの異臭で初めて気づきます。
以前も書いたかもしれませんが、ペットも飼っていたので「うん? お父さんかな?
お母さんかな? それとも、ドナちゃんかな?」と考えねばなりません。でも、猫のドナちゃんは、いつもトイレで用を足しますし、粗相をしたことはありませんから、両親のどちらかになります。汚物のついたおむつをそのままどこかに隠しこんでしまう時もありました。早く探さなければ、うじがわきます。このように、特に、誰にも頼ることができず、仕事を抱え、片親のみならず両親の介護を自宅でするのは、困難だし、私は女性だからそこまでにはなりませんでしたが、必ず劣悪な環境に陥ります。ですから、自分のためというよりは、親のためにも施設をお勧めします。もちろん、その際、施設選びは慎重にすることは、言うまでもありません。
今思い返してみても、ほんと、一人で、よく、頑張れたなあと思います。でも、子宮筋腫の手術をした時も、脳腫瘍の手術をした時も当時は大変だったのですが、振り返ってみたら、それはもう遠い昔。まさに忘却の彼方で、介護に関しても同じ。
母が、塾に入ってきて、段ボール箱を指差しながら「新しい生徒さん?」と言ったことや、視力検査で「私の勘じゃ上に穴が開いている」とか、父が「今から電車を買いに行く」と言って、自転車に跨ろうとした時に、母が「いやあ、お父さん、大きすぎて家には、入らん」に対し、「なら、倉庫を借りる」と、一見話の辻褄は合い、私が「今日、電車屋さん、休みだって」というと、「そうか」と素直に自転車を降りたことなどが、懐かしく思い出され、そして、つい吹き出してしまいたくなります。今回のドラマで、辛かったことも少し思い出しましたが、それは、ごく、たまにです。
時が解決してくれるというのは、ほんとに、その通りだと思います。
そして、辛いことよりも、絶対楽しいことの方が、いつまでも心に残るものです。
プロゼミ 小川 文子
オンラインは嫌いだ
コロナの影響で、オンライン授業を売りにした塾が続々と登場しています。また、既存の塾でもオンラインとの併用あるいは、オンラインのみの受講者も募集しています。
正直再び感染者が急増し、学校の部活などのクラスター発生に、いわゆるコロナ鬱のようになり、学校に通えていない子供たちもいるようです。
当塾の生徒達も、うつにはなっていませんが、夜になっても暑さが続くこの猛暑、わざわざ通塾したくないなと口にする子もいます。私も、若干思います(笑)
確かにオンラインは便利。以前の投稿でも生徒たちと面白いキャラクターになって、結構楽しんでやれたことも書いています。ただ、あまりにも家庭環境が見えすぎて困ったとも書いています。
けれど、それ以外にも、何か腑に落ちないものを私はずっと感じていました。そして、その理由に最近気づきました。
私は、塾の優先順位を知らず知らずのうちに、勉強以外のことを上位にあげていたのです。
よく、生徒に成績だけUPさせたいなら、学校には行かなくてもいいと考える塾もあるよ。と私は言います。塾で、学校でのまどろっこしい説明を聞かずにさっさと進めた方がどれだけ効率的かと。
中3の3学期は、仮病を使い学校を休む人が増えます。
受験勉強のことだけ考えたら、副教科に費やされる時間などは、無意味になると考え上位校に合格させることのみに心血を注いでいる塾などは、平日も朝から塾生を呼ぶところもあります。
当塾の生徒にも学校に行きたくないと言い出す人がそのころになると出てきます。
だけど、私は行きなさいと言います。学校は勉強をしに行くところではないからです。
友達や先生方の触れ合いなどから、社会に出て役立つ様々なコミュニケーションツールを知らないうちに学べることが一番の目的だと私は、考えます。辛いこと、嫌なこと、理不尽なこともすべて含めて。
このような考えを私は持っているので、塾もオンラインだけにしたくないんです。
よその塾はどうなのかわかりませんが、私は、生徒の勉強の進捗度以外のことも、すごく気になります。
急に言葉遣いが乱暴になったなとか、筆圧が弱くなったなとか、何か悩み事があるんじゃないかなとか、家で何かあったのかなとか、友達とうまくいっていないのかなとか、もう、あとからあとから色々な心配がわいてきます。
特に小学校低学年から中学まで通ってきている子などは、毎年毎年色々な出来事に直面します。
友達がいないとか、いじめられているとか、泣きじゃくる子供たちの話に耳を傾けながらなんとか少しでも力になろうとあれやこれや解決策を示しながら、どうにか乗り越えて、結果子供たちがたくましく成長し強くなったなと思える瞬間のほうがテストの点数が高得点より嬉しかったりする私です。
こういうことって、オンライン授業だけでは、無理がありますよね。
一対一の対面のオンラインでもです。
なんか画面を通してだと、盛り上がり感も見せかけだけで、すごく無機質なものに感じてしまいます。
ソーシャルデイスタンスを守らないといけないので、塾を再開してからは、私の机にはアクリル板を設置していることも前回触れました。
映画館のチケット売り場の窓口のように、そこから生徒はテキストを差し入れます。そして、私が採点してまた返すシステムです。
だけど、そこに向かわず、私が座っているところに直接持ってくる子もいます。
「いやいや、それじゃ、意味ないじゃん」と言いつつ自然に笑みがこぼれます。
スキンシップはまだまだできないけれど、心と心はつながっているという思いを持てるからです。可愛くて可愛くて、ほんと、ぎゅっと抱きしめたくなります。
プロゼミ 小川