様変わりした学校生活
今年は、サクラサクではなく(笑)梅が見事に咲きました。
と言うのも、私立は専願のみ。そして、公立は特色化選抜という、今までには馴染みのないシステムが数年前から実施され、今年、初めてプロゼミでそのシステムを使い桜が咲く前に早々と合格を果たしました。
ということで例年なら3月迄やきもきしていた、合格発表がもう1月で終了したわけです。
専願は随分前から取り入れられていました。私立希望高校一校のみ受験。公立併願より、必ずその高校に入学することが条件ですので、難易度も下がり3教科での受験ですので、受験者には、とてもメリットがあります。また、私立でも実質授業料無償化ということもあり、経済的にも親御さんの負担も減りますから、一石二鳥です。大学を持っている高校ならよほどのことがない限り、スムーズに大学進学できるのも魅力の一つです。設備も整っています。
公立には売店有りますよね、勿論。でも、コンビニはないでしょう、いくら何でも。
でも、私立の中には、コンパクトなコンビニがあり、その高校のオリジナルグッズも売っています。そうなると、公立は慌てますよね?! 少子高齢化も加速。優秀な生徒を私立に持っていかれてしまうぞ!
そこで、導入されたのが、この、特色化選抜。推薦と、ほぼ変わらないのですが、まず、校長推薦は要らないこと、ある程度の基準内申点をクリアしていれば、誰でも受験可能。
しかも、私立の願書締め切り一日前に合格発表があるので、私立も受験する必要がない。
私立の受験料も、ですから払わなくていいのです。
つまり、本人たちは、結果的に筆記テストを何一つ受けることなく希望高校に合格を果たすというわけです。
勿論、基準内申をとるための、日頃の学習態度や定期テストのための勉強は、真面目にやっておかねばなりません。そして、志願作文も何度も書き直さないといけないので、かなり労力を使いますから、決して、楽をして合格を勝ち取ったわけではありません。
けれど、専願しかり、特色化選抜しかり、きっと、3月の公立合格に向けて今必死で勉強している人に比べたら、合格が決まった途端に当然ですが、ほっとして、気が抜けて、そして、今まで溜めこんでいた知識も頭の中から、すっかり抜け落ちてしまう可能性大です。
そこは、気をつけて、日々の精進は忘れないようにしないといけません。
さて、様変わりの件ですが、公立特色化選抜という新しいシステム導入以外に、それぞれの、試験前の学校の対応です。コロナがずっと蔓延したままの日本。修学旅行前は、オンライン授業。一人でもコロナ感染者が出たら、中止になるからです。
これが、入試にも採用されます。 専願前1週間はオンライン授業。それ以外でも、オンライン授業がOKだそうです。名目上はコロナ感染避けるためですが、受験生にとって、正直副教科の授業受けるくらいなら、オンラインにして、自宅で受験勉した方がましというのが本音です。今クラスの半分以上の生徒がオンラインを選択しているそうです。
雨が降る日も雪が降る日も学校の先生は毎日登校します。教室の引き戸をあけて、中に入れば、そこには数名の生徒しかいない。さぞかし、お辛いことでしょう。また、信じられないのですが、オンラインなのに、オフラインにしても構わないそうです。出席確認した後は、すぐ、オフにするそうです。そして、ひたすら、受験勉強に没頭するわけです。先生方もそれはもう暗黙の了解なんでしょうし、殆どの生徒が塾に行っており、塾から出された課題をやっているのもお見通しでしょう。でも、やるせないですよね?
学校って、勉強というより、もっと、別の目的があっていくものだと私は思うんですね。
お友達との語らい、あるいは、ちょっと辛い思いもする、けれど、そんなこともひっくるめて、より、コミュニケーション能力を高めるためにも行く必要があると思うんです。
仕事もですが、リモートワークが主流になり、会社に行かず家や、あるいは旅先で、パソコンを操作する。家族とのコミュニケーションは、とれていても、他の人とのかかわりはWEB上だけなんて、昭和の私には到底理解しがたいことです。五感ってありますよね?
見る・聞く・触れる・味わう・嗅ぐ
その五つを共有してこそ人間社会ではないのでしょうか? 社会も様変わりして、今からそれが当たり前の社会になるのかしら? 個々がやりたいようにやって構わずいい意味での統制を無視してもいい世の中になるのでしょうか? 考えたらとても怖い気がします。
昔ばかりを懐かしむ私は、もう時代遅れなのでしょうか? でも、何とか、生徒には人として何が一番大切かをウザがられても、一生懸命教えていくつもりです。
プロゼミ 小川文子
母が亡くなりました。
母が亡くなりました。
このブログでは、塾のことと、介護のことも、書いてきました。
介護に関しては、私自身が色々悩んでいた時、随分と自分の介護の話をされていた方々のネットのコメントに励まされてきたので、及ばずながら私も、今悩んでいる方のお力になれたらと、綴ってきました。
ともに認知症であった両親の自宅での介護⇒入院に至る事情⇒そして、施設入所までの経緯など。
父の最後は看取ることはできませんでした。ロングのショートステイという、施設側の配慮で、本来ならば短期間のショートステイをずっと延長してくださり、それなりに順調に過ごしていたのですが、誤嚥性肺炎になり入院。足腰も弱っていたし、認知症がひどく、その頃母も自宅でみていたので、父は施設にお願いしようと、リハビリ病院を退院後高校時代の友人が勤務していた施設に入居させました。それから、わずか4日後に息を引き取りました。その時は突然で、私も塾をしていて、連絡を受け途中で生徒を帰し、大急ぎで搬送された病院に駆けつけましたが、既に亡くなっていました。
母の時は、お医者様から発熱があったので、pcr検査や肺のレントゲンを撮ったら、検査の結果陰性でコロナ感染ではなかったが、父と同じく誤嚥性肺炎との診断でした。
いわゆる、余命をお聞きしたら、今晩かもしれないし、数日かもしれないとのことでした。多分前回のブログで、そのことは書いていたと思います。
5月末のことでしたから、よく頑張りました。
私にとって、今回は介護ではなく、その後に続くもの、看取り、の、勉強(?)をしなくてはいけませんでした。誤嚥性肺炎ではありましたが、もう、老衰でもあったので、決して元気になることはない。徐々に命の炎は消えていく。それは、間違いない。けれど、それがいつなのかもわからない。
お看取りは近いかと思われますとお医者様に言われた時から、私の毎日の施設通いが始まりました。思えば、コロナが流行してから、リモートでの面会しかかなわず、本来ならもっと母とじかに接することができたのにという思いから、何とか失われた日々を取り戻したいという気持ちもありました。正直毎日の施設通いは、くたくたになりました。施設のスタッフが、私達もいますから、無理しないでくださいね、娘さんが倒れたら何にもなりませんよと、声をかけてくださいました。よほど、疲労困憊していたのでしょう。けれど、今日はきついから行くまいと思って行かなかった時に、万が一のことがあったらと思うと、一日も休むことはできませんでした。家では、トイレにもお風呂にも携帯電話を持っていきました。着信音がすると、胸がいつもドキッとしました。真夜中に電話があったらどうしよう、と、なかなか寝付けず朝を迎えることもありました。ああ、今日もまだお母さんは生きているんだなと、ほっと、胸をなでおろし、また、バタバタと支度して施設に向かいます。
目を開いているときもあれば、閉じているときもある。呼吸が乱れていない時もあれば、ハアハアとしんどそうな時もある。息苦しそうなときは、じゃあ、また、明日来るねと、ドアの近くまで行くのですが、また、枕元に戻りを数回繰り返します。そろそろではないかと言われてから、二週間ほど経っていたでしょうか?
明らかに、呼吸が乱れて酸素量も落ちていました。その晩から、酸素マスクをつけ、点滴をしようということになりました。初日酸素量は1リットル、翌日は1.5リットル、そして、次の日は突然5リットルに跳ね上がりました。もう、気が気ではありません。私は、看取り、誤嚥性肺炎、点滴、酸素マスクなどのワードを入力して、ありとあらゆるネット検索をしました。
あるお医者様は、はた目には苦しそうに見えても、実は脳内に酸素が行き届かなくなると、二酸化炭素が増えるが、結果、恍惚状態になり本人は幸福感が増してくる。だから、酸素マスクをつける必要はないと説明する。また、点滴を続ければもう血管がぼろぼろになり、尿量も少なくなれば、水分を排出できず、体中がむくみ、却って苦しい思いをさせると見解を述べるお医者様もいる。
親戚も、点滴を中止してくれと頼んだ。中止して4日目に息を引き取った。いつまでも点滴のみで意識もないまま生きながらえることが、果たして本人の望みだろうかと考えたといいます。
私も大いに悩みました。けれど、主治医が、お母さまが苦しまれず穏やかな最期を迎えられるように、酸素投入と点滴をしましょうとおっしゃったので、様々な意見があるかもしれませんが、私はそれに従うことにしました。酸素は一旦3リットルに下がり、息遣いも普通に戻り、表情も穏やかな感じでした。しかも、今まで処方されていた血圧を下げる薬や睡眠導入剤などを一切やめたことで、反対に脳がクリアな状態になったように見受けられました。
夜間スタッフが母のお世話をしていた時に「ありがとう」と声をかけてもらったと涙ぐんでおられました。点滴は殆どが水分のみでカロリーも、缶コーヒー1本分くらいなので、体重・筋肉はみるみる落ちていきました。足は、骨と皮状態。まるで骸骨のようでした。それでも、母は生きています。苦しい様子を微塵も見せず生きています。時折薄く目を開けて私を見つめることもありました。
けれど、とうとうその時がやってきました。7月3日の朝危篤の知らせを受けました。
表情は穏やかなまま。けれど、呼吸はとても浅く途中無呼吸状態にもなりました。
パジャマの一番上のボタンを私は凝視します。息をしていたら、微かにボタンが動くのです。
妹に連絡をしました。姪達も妹からの連絡を受け施設に向かいました。妹や姪達が到着したのは夕方でした。母の酸素量は健康な人と同じくらいの数値を示し、時折閉じたままでも眼球が動くのがわかりました。耳も澄ましている感じでした。
看護師さんが、すごい生命力ですね、昼まで持たないと思っていましたと、仰いました。
そして、長丁場になるかもしれないので、途中で休めるようにと、ソファーを部屋に入れてくださいました。姪の一人は看護師なので、脈をとったりして、あと、2・3日は持つかもしれないねと、言って、妹家族は帰っていきました。
ベッドわきでスタッフさんとほんと頑張りますよねと、話していた時、母が最近発していた、あ~とか、べ~とか言う声が聞こえました。また、あっかんべ~って言ってると笑いながら、ふと、ボタンを見ると、動いていません! 妹たちが帰ってから数分後の出来事です。
施設の看護師さんが胸に聴診器を当てて静かにおっしゃいました。
「動いていませんね。止まっています。」と。
なんとも、あっけない、そして穏やかな最期でした。
「皆さんを待っていらっしゃったんですね。」とスタッフの方が言われました。ほんとにそう思わざるを得ませんでした。
92歳になっていました。6年間お世話になった施設。たくさんの写真を残して下さっていました。小川さんは、とても感情豊かでよく笑うし、感激したら号泣していました、スタッフが困っていると、大丈夫よといつも声をかけてくれていたと言ってくださいました。
また、福島の復興応援ソングの「花は咲く」をBGM代わりに施設で流していたところ、すっかり母が歌詞を覚えてしまったとも聞きました。
要介護5という最高レベルの認知症の母がですよ!
施設に預けることを未だに介護放棄だとか姥捨て山だとかいう人もいます。けれど、この少子高齢化、徐々に考え方もかわりつつあります。CMでもそういう類のものが多くなってきています。賛否両論あるかもしれませんが、私は母の施設での6年間はとても幸せなものであったろうと思います。
毎年誕生日会も開いてくれて、写真付きの色紙を作ってくれます。母は施設長が大好きで、彼と一緒に写っている写真は、まるで乙女のようです((笑)
今でも、無意識に、アッ、携帯!とトイレにまで持っていきそうになります。そうだった、もう、電話はかかってこないんだと、なんだか少し寂しい気持ちにもなります。
でも、なるべくあまり考え込まずに、これからは、夏休み、ビシバシ、受験生を鍛えていくべきエネルギーをチャージしていくことに重きを置こうと思います。
今年の受験生はまるまる3年間コロナ禍で過ごしてきたので、通常とは違う相当の覚悟がお互い必要になるだろうから・・・
プロゼミ 小川
心の教育
三年前からの、コロナ流行がなかなか終息の兆しを見せないところに、ロシアのウクライナへの侵攻。そして、新たにサル痘の流行も取り沙汰されています。
世の中が知らず知らずのうちにすさんでいっていることも、一つの原因かもしれませんが、最近の子供たちは、「心」がないように思います。
自分本位ではなく、人への思いやり、人の痛みを我がことのように感じて、何か手助けをしてあげたい、そういう思いがとても希薄になったように、思います。
また、いわゆる性善説、人間の本性は善である。この考えが日本では一般的です。一人一人性格や学力に違いはあるものの、一般常識における善悪の区別はみんながついていると私は思っていました。
けれど、どうもそうではなかったことに、世間のみんなが衝撃を覚えた誤送金問題。
色々と悪い状況が重なって、ある男性の口座に4630万円という大金が振り込まれてしまいました。振込先は手違いを詫び、返金をお願いしました。田舎の町です。多分、泥棒や殺人などの事件など皆無であったであろう田舎町です。ですから、当然と言えば当然、性善説の元、素直に返金に応じてくれると思っていたのに、そうではなかった。
このことについて、生徒達に問うてみました。
すると「返さない。向こうが、ミスして振り込んだのだから、向こうが悪い。当然、もう、自分の通帳に入金されたのだから、自分のもの。自分のものを返せとは、そんな理不尽なことはできない」とある生徒が言いました。愕然としました。それは、そもそもはあなたのおうちの人やみんなが汗水たらして働いたお金なんよ、税金だから。いずれにしろ、人のお金なんだから、間違って入っていますよと言わなくてはと言っても頑として自分の意見を曲げませんでした。また、国語の文章の中で、「さすがに、それは、はばかられた」というのがあり、憚る、の意味を説明するために、ある例を出した時のことです。
友達の家に招かれて、たくさんお料理が出されて、そこのお母さんが好きなだけ召し上がれと言ったとする。友達は全員で10人。色々なお料理がある中で、ステーキは10枚だった。
あなたは、何枚食べるか?と聞いてみました。当然私は、いくら好きなだけ食べていいと言われていても、ステーキの枚数は人数分だから1枚と答えると思いました。ステーキが大好きで何枚も食べられるが、やっぱり人数分しかないから遠慮するよね?そういうのを、はばかる、っていうのよと、教えるつもりでした。
でも、返ってきた答えは「何枚でも食べるよ。早いもん勝ちやろ?だって、好きなだけ食べていいって言われたんだから」でした。全員の生徒ではありません。それは、人数分しかないから、平等にという答えが大半でしたが、一人でもそういう気持ちを持っている人がいたのは、悲しいことでした。
そして、極めつけは、今のウクライナとロシアのこともあるし、では、人を殺してはなぜいけないのかを、聞いてみました。
これは、以前、筑紫哲也さんがやっていたニュース番組で若者との討論会の時、一人の青年が作家の柳美里さんに投げかけた質問です。一瞬スタジオが凍り付き柳美里さんが返答に困ったシーンが今でも焼き付いています。その頃か、それより前か、今では、当たり前のようになってしまった、人を殺すこと自体が目的の殺人が初めて起きた時だったように記憶しています。若者が、赤の他人の老女を殺しました。理由は人を殺してみたかったでした。センセーショナルな事件でした。それから、今度は中学生が小学生をビルの屋上から突き落としたり、小学生が同級生を学校内で殺したり、兄が妹を殺したり、親が子を子が親や祖父母を殺したりと、とにかく今までとは想像を絶するような殺人が次から次へとおこり、今でもそれは、続いています。その、質問に殆どの生徒が「う~ん」と考え込んだのにまず驚きました。もしかしたら、数学のようにきちんとした正解があるのだと思ったのかもしれません。間違えたくないと思ったのかもしれません。でも、ある子は「えっ? 殺したらだめなの?」と言いました。また、「う~ん」と言った子も動物は殺しあうのになぜ人間だけダメなんだろうとは思うといいました。
柳美里さんは、あの時どうして返事に窮したのかと私は、思います。
人の人生は一度だけ。大切な命を何人たりとも殺めてはいけないし、被害者家族も加害者家族もつらい思いを抱き続けることになる。以前カラスが死んでいるのを見た生徒が、カラスとか生きてる意味ある? と聞いたことがあります。確かに生ごみはあさるし、嫌われ者のカラスです。でも、なぜか悲しかった。また、TVのCMで最近目立つのが優秀な人材を得るためのツールを紹介している会社の広告です。確かに高校の先生方もぜひ、優秀な生徒さんを我が校へと仰います。でも、よくよく考えていくと、では、優秀でなければ、生きる価値はないのか?上記したように、赤の他人の老女を殺した青年は、若い人は前途があるから、老い先短い老人なら誰も困らないだろうと思い年寄りを選んだと供述しています。
今、私の母は91歳。食事も摂れないようになり、体重も減少、そろそろ40キロ切るのではないかと思われます。点滴で栄養補給していますがかかりつけ医から、そろそろ御看取りも近いと思われますと言われました。コロナ禍でずっとリモートの面会でしたが、施設の方のご厚意で直接面会できるようになりました。認知症ですから私のことは勿論わかりません。入所当初はLサイズのパジャマもぶかぶかで、足を触れば骨そのものです。無理な延命治療は望みはしませんが、それでも一日でも長く生きていて欲しいと思います。サイズを落とした介護もしやすいパジャマを注文したのが、今日。届くのは3日後。何とか、そのパジャマに袖を通してほしいと願うばかりです。
今回は、ちょっと、話があちこちとんで、長くもありますが、読んで下さいませね。
小学校や中学校では、道徳の時間があります。でも、みんなどう答えればいいかは知っています。中学生ともなると、内申書のこともあるし、心の中では👅を出しているかもしれませんが、優等生の答えを用意します。そして、実は私も悲しいかな、そう指導します。
先生が喜ぶ答えを出さないと合否に関わる可能性も出てくるからです。
ですから、私もいけないのでしょうが、家庭でも、たぶん、「心」人としての有り様についての話などはしていないと思います。殆どの家庭が共働き、子供たちは塾も含めたくさんの習い事に部活。一緒に食卓を囲むことも少ないでしょう。学校でも、道徳は教科として教えるだけ。いちいち、一人一人に目を向ける暇もないだろうし、子供達も本心は隠している。
そこで、私、考えました。塾は勉強をしにくるところ、そして、成績を上げるところ。だけど、それだけではダメなんだと。予想だしなかった私の質問に対しての生徒たちの返答に私は驚愕しました。
そして、よし!! 家や学校で学べないなら、塾で「心」の教育をやろうと!!
そもそも、「心」なんて教育するものではないですよね?
例えば、親御さんが電車の中で席を譲るのを見たり、あるいは、むごたらしい戦争の映像などを見て涙する親御さんのそばで、自然に育っていくものだろうと思います、本来は。
でも、今は、それが難しい。日々の生活に追われ家庭の団欒をとることも少なくなってきていると思うのです。「宿題はした?」「明日も朝練あるんでしょう? はやく寝なさい」くらいの会話で精いっぱいではないでしょうか? ゆっくり膝を突き合わせて「いいか、人というものは・・」なんていう時間はないでしょう。同じ膝を突き合わせて話すとしたならば、「いいか、このままでは行きたい高校には行けんぞ」くらいが関の山でしょうし、それを責められやしません。私もテスト前はとにかく「いい、絶対ここは100%出るからね!覚えてよ!」と、声を枯らしながら必死で指導します。塾ですから。
核家族になり、地域のコミュニティも今はほぼないのも「心」が育たない一因だと思います。おじいちゃんおばあちゃんがいて、お節介な近所のおばちゃんやおじちゃんがいて、みんなで子供を育てていた頃とは違いすぎます。今は、「心」すら、教育する外はないのです。
それを私は怠ってきたという自責の念があります。どうしても塾の役目は学力をUPさせることですから、一番大切な人の心を教えることはしてこなかったという反省があります。偏差値の高い高校に合格した子が果たして、とてもいい子かどうかなんてとこまで考える必要は本来はないのかもしれない。でも、それではダメなんだと今私は痛切に感じています。ステーキを何枚も食べると言った子に「10人お友達がいるでしょう? ほかの食べ物はたくさんあってもステーキは人数分しかないのよ。だから、自分が多く食べたら食べられない人が出てくるやろ?平等にお友達とわけないとね」と言ったら、初めて合点がいったように「ああ・・」と頷きました。
今回、普段は案外自分勝手な感じの子が「1枚しか、食べんよ。だって、人数分しかないんやけん」と言った時はちょっと感激しました。そういえば、この子は、とてもたくさんの友達がいますし、笑顔が絶えない子です。まあ、「いや、それに、何枚も食べられんし。おなか一杯になるもん」の落ちはありましたが、ある意味思いがけないいい答えだったので救われた私でありました。
プロゼミ 小川
今年の受験生もコロナとの戦いでした。
世界中にコロナが蔓延して、とうとう3年目に突入しました。
受験生達も、本人の感染は免れましたが、家族内に感染者が出たり、学級閉鎖が二度、三度と続きなかなか勉強が出来ませんでした。
しかも、今年から指導要領が変わったり、今まで福岡市が採択していた教科書メーカの変更により、中2までに既習済みとみなされていても、未習のまま、新指導要領のもと3年の勉強をスタートすることになりました。
指導する先生方でさえ、習ったことのないものを生徒に教えるわけですから、先生方もご苦労されたことでしょう。
でも、思えば、明治維新! 江戸時代とまるで違う文化がやってきました。
そして、第二次世界大戦! 今までとすべての概念がひっくり返りました。
教科書も黒塗りだらけになりました。子供たちに自分は今まで嘘を教えてきたと罪の意識にさいなまれ辞職した人や自殺した人が多数いたということでした。
両親たちは、量の単位を知りませんでした。今までは、匁とか、尺だったのに、突然1キログラムなどと言われてもわかるはずもありません。また、敵国語の英語を口にするだけでも憲兵に引っ張られるわけですから、英語の知識も全くありませんでした。
そういうことを考えると、これしき、がたがた言っていてはみっともない気もします。
そもそも、全員同じなわけですから。過去に生きてきた大人には比べるものがあるから、驚きますが、本人たちは、毎回初耳ですよね?
小学校1年の時から。もちろん今はほとんどの子供が塾などで先取り学習はしているでしょうが、基本は、ひらがなに触れるのも小1が初めてなわけです。
ですから、指導要領が変わろうが変わるまいが、習うことに関してはみんな平等なわけです。
ただ、ここ数年は、コロナという異常事態も相まって、全体的に学力が落ちてしまったことも否めません。
けれど、それでも入試はやってくる!
そして、そんな中でも今年もプロゼミの生徒は、桜を咲かせてくれました!!
高校の入学式がオンラインではなく対面であることを祈ります!!
合格おめでとう!
東福岡高校 進学コース
福岡中央高校
猫にも認知症?
ようやく緊急事態宣言も解除されました。しかしながら、母の施設は相変わらずオンラインのみでの面会がかれこれ二年間続いています。
最初、母を施設に入れたころは週に2回面会に行っていました。友人からは多くない?
月1でもいいくらいよと言われていましたが、行かないと安心しませんでした。けれど、3年ほど前に私自身が大病を患ってしまってからは、入院の時は勿論行けずじまいで、そのあとからは週1に変更しました。
理由の一つは、私の入院中は全面的に施設にお任せしていたのですが、これといったトラブルもなく、週に2度3度行かずともお任せで大丈夫だと思ったこと。
それと、もう一つは、母の認知症がかなり進み、もう、私が誰だかわからなくなっていることです。結果私と頻繁に会えなくても淋しがらなくなりました。
オンラインの面会でも、目も合わないし、そこには能面のように無表情な母の姿があるだけです。けれど、血色もよく体調面はすこぶる良好だということはわかりますので、安心です。
今気がかかりなのは、我が家の猫のドナちゃんです。入院の際、母は施設にいたのでよかったのですが、一人暮らしの私でしたので、入院するとなると、ドナちゃんの生活に支障をきたします。そこで、姪や妹に頼んで、毎日でなくてもよいのを条件にお世話を頼みました。
食事や排泄の始末にはそういうわけで、困らなかったのですが、世話が終われば姪達は帰ります。だから、ドナちゃんは二週間以上淋しい夜を過ごさねばなりませんでした。それが、たぶんきっかけでしょう。ドナちゃんは、分離不安症のような状態になりました。ペットに特有の病気で、飼い主と離れられなくなる。いつもついて回る。少しでも姿が見えなくなると鳴き続ける。その状態が結構続きました。しばらくして、少し収まったのですが、今ドナちゃんは15歳くらいで結構なおばあちゃんになりました。時折ぼ~っとしているかと思えば、今度は、狂ったように鳴きじゃくります。そして、最近慢性腎不全に加え、膀胱炎の症状も出始めました。人間にも膀胱炎はありますが、猫ちゃんは精神的な不安からも起こるそうです。また認知機能の衰えからも起こりやすいとか。
抗生物質などを投与して、今は療法食に切り替えて毎日を過ごしていますが、認知症らしき症状は進んでいます。
鳴いて何事かを訴える。だいたい、私の言葉は理解しているし、私もドナちゃんの返事やしぐさで何を欲しているのかわかります。けれど、最近は、たぶん、ドナちゃん自身もわからないようなのです。鳴くには鳴く。けれど、私に何を訴えているのか、何をどうして欲しいのかわからないようなのです。その場にじっと、座り込んで、次のアクションを起こさず、ただキョロキョロするだけです。
そこで、とりあえず抱っこします。すると、ちょっと安心したような表情を浮かべ、しばらくすると、水を飲みに行ったり、トイレに行きます。
鳴く⇒抱っこする⇒ドナちゃんが別のことを始めるので私も家事などをし始める⇒また、鳴く⇒どうも二階に行きたいようだ。階段を下りるのは何とかできるが上るのが一苦労みたい⇒抱っこして二階に行く。⇒また、鳴く⇒今度は下に降りたいのだけれど、もう疲れてしまったの合図の鳴き声みたい。
この、ルーティンの日々が少しずつ増えていきます。一たび寝たらかなり長時間寝るので、その間にチャチャっと用事を済ましています。
これからは受験真っただ中に突入するので、指導にも準備にも時間を割かねばなりません。
両親が家にいた頃は、授業中にも怒鳴り声を出しながらやってきていたので、それを考えれば人間の認知症よりは生徒への危害はないので助かりますが、一人にさせている時間は長いので、これまた、どうしているかと心配になります。
なんだか、人生って次から次へ色々な困難が待ち構えていて、心底楽しめる時期って短い気がします。最近は20代くらいのことが思い出されてならない私です。
後悔先に立たずとは、よく言ったもので、後から気づくからあとで悔やむわけであり、その時々では、いくら、将来後悔するよと、親や周りの大人に言われても若者は突っ走る。
中3になったら困るからと言っても耳を貸そうとせずに結果今慌てふためいている受験生。
だから、言ったでしょうと言っても、もう過去に戻って勉強をやり直すことはできない。
これから先、勉強以外でも苦しみ・辛さ・後悔を味わう日々の連続だということも、タイムトラベルで、将来を垣間見られる人しかわからないし、当然それは、不可能です。
ああ、あの時は失敗もしたけど、楽しかったな、でも、今の方がもっと楽しいやと思える人生を生徒達には送ってほしいものであります。
プロゼミ 小川 文子